2011年04月18日

被災地からのメッセージ

東日本大震災、被災者の声を届けるNHKの番組からのメッセージの中に
ドキッとするものがあります。

「時間が止まっている。地震が起きた時はこのへん一帯が
止まっていた。でも、動きはじめた。なのに、ここは止まったまま。
自分だけが止まっている感じがする」
これは年輩の女性のメッセージでした。

きっと、地震前は、ご家族と時間に追われて日々忙しく
過ごしていたのでしょうね。
その時間が止まってしまったように感じられること
動き出さない時間はきっと長く長く感じられると思います。
同じ1日という時間、1時間という時間、10分、1分の時計の針の進み
これが人間には過ごし方によって長くも短くも感じられる
超忙しい人が、時間がいっぱいあっていいじゃん! というような、
なまやさしいものでは決してありませんね。

前につながるということの時に書いた「時間の狭間に落っこちる」
で書きたかった状況に似ているんじゃないかと思います。
そのままでいてはいけないのがわかります。
でも、今ここからどうにかできるわけではありません。
みんな声に出して、
「私にできることはなにか考えています」
でもそれが、苦しみを抱えている人の心に何かの変化や勇気を
与えられるかどうか?

相手がその人にとって特別な人なら、発せられた言葉がうれしい
となるのはわかります。
見知らぬ人からでも元気がでたとメッセージが返せるのは
きっと余裕のある人でしょう。
そうではなくて、時間が止まってしまったように感じている人には
そばで時間を動かすことをしてあげる人がいないとやっぱりダメだと
思うのです。
具体的な感じで。

簡単に言うとですね
たとえば、
ストレスためてる人に
「ストレスためすぎたらアカンよ」
それはだれでも言える
そうじゃなくて
「じゃあ、おもしろい映画やってるから今度のお休みに行こ!」
そう言える人が必要なんじゃないのかな
例えはヘンかもしれませんけど、そんなことやと思うのですよ。
離れていてはできないです。

次から次へ思うように行動ができない
物理的にも経済的にも
そして、体も頭もクタクタに疲れていく
ふつうは順調で満たされているから、心は踊る
心が躍っているから、時間はあっという間に過ぎて行く
助かった命
はやいうちに方向転換しなくちゃ・・・

1ヵ月がたち、そこからの時間ははやいはやいと感じます。
阪神の時は半月で変わったなぁ、早いなぁって思ったもんですけど
今回は1ヵ月たっても、まだこんな感じ? テレビで感じることもあります。
変わっていくところと、変わらないところ
差が大きくなるかもしれません。


今日の昼間のテレビでは国会中継が流れています。
もう普通にお仕事のようにあの地震直後を振り返る。
まだまだ、なにが起こったんだろう?
ポッカリとできた空洞を自分のことと実感できずに
苦しんでる人もいると思うのに・・・
一人の人が一日の時間にできることなんか、
どんな人でもしれてるのかな。
自分の身に起こることだけで暮れて行く
どんな人もそんなもんですかね。
お仕事時間くらいはプライドを持ってがんばってください。
国民のために仕事をするプロですからね!!
そう祈るしかないけど、なんかイライラする
ブチっ!
すぐにテレビ消しちゃいますー(長音記号1)

HI3H1188-1am.jpg
1株しかなかったラッパスイセンが今年は前の方で
たくさん咲いてます。
自然でも種がとぶのか、離れたところで突然咲くのが
おもしろいです。
めずらしいのか、ご近所からもウケがいいですよ(^_^)
posted by U-sap at 15:47| つぶやき的、私日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

昭和の人 平成の人

時代を塗り替えてしまうような大変なできごとが起きた今年、
昭和が終わって23年目

地震直後、
「『日本沈没』はいつかはあり得るの?」と聞けば、
「いや、それがちがうんだな。日本は反対、隆起する。もり上がる。
もともと日本はそうしてできたんだ」とカメラマン。
理科音痴、地理音痴に加えて、私は地学、もひとつ天体音痴のお母さんですから、
今回起きたことは人が苦しい目に遭っているということしか頭にありませんあせあせ(飛び散る汗)
原発も日本になぜこれほどたくさんあるのか? いつ作られたのか?
自分が興味なさすぎたのか、小さすぎる時代のことだったのか
それもわかりません。
でも、カメラマンは小さい頃、黒い雨がしょっちゅう降ってたと言います。たしかに
1960年代の日本には実験による今のようなレベルの放射能が存在していたらしいです。
私は北海道だったせいか、記憶が弱いせいかまったく知りません。

戦後、なり振りかまわず経済成長の波に乗っていたのが昭和
私も昭和の時代には社会に出て働いていました。
その頃は全中流時代と聞き、中の上の暮らしがあれば幸せみたいな
感覚で生きてました。楽しく遊んでいた青春時代の終わりがバブル期でした。
私は昭和生まれで、まちがいなく昭和の人という実感があります。
アナログ的というのでしょうか。

このあいだバイト先でいっしょだった女子が24歳で
「平成生まれでなんかちがうんだよ」とよく言われると話してました。
うちの子は平成11年生まれ。
私が自分の子どもで思うのは平成というよりは21世紀という印象が強くて、
2000年からの日本っていろんなことが加速してきた気がします。
娘が1歳になる頃、2000年問題が話題になりました。
コンピュータで動くものがどうなるのか、なにかが起こる、
ライフラインは大丈夫かと不安があった。
2000年から5年くらい、社会がどんな風に変わって行ったのか
私には空白期間があります。
子育てに超忙しかった。まずは幸せすぎて有頂天だった。
そこにワケのわからない病気症状がやってきた。
一人だけなので比べられませんけど、
2000年からの子育てはなんだか大変でしたよ。
その間に社会は驚くほど変わったみたいですね。
なにがといえばグローバル化
「アウトソーシングってなあに? 」
私がある人にそんなことを聞いたのは2006年ですからね。
まったく浦島太郎でした。
パソコンの使われ方の変化も実体験としては知らなかった。
人材派遣がすでに大きく変わっていた。
多くのことを中国に依存するようになっていた。

それなのに、子どもが川崎病にかかるまではほとんど何も気にもしないまま
生活してました。
それに比べれば、今の育児はけっこう自然にまかせる部分は自然に
神経質になるべきは部分は神経質にと、
気をつかうところの注意点は喚起されてる感じがします。


国が認めるもの。
信じて疑うなんてことはなかった。じつは私の母がそんな人なんです。
ヘンだと言うと、ヘンなこと言うなと。神経質になるなと。
その血を受け継ぐ。まあ、よく否定はしてましたけどね!
昔の私は夕食の料理を1品増やすなんて、レトルトの素に食材を合せれば簡単。
私っててんさーい!! みたいなお気楽主婦でしたよ。
いろいろな洗剤や便利なものを使い、安心。キレイ好き。
それでカンペキに子どもを守る!!みたいな。
化学の力はすばらしい〜〜みたいな。
でも、今考えると私、出産前後、人生で一番太ってました。

本当にいろいろあった。
そして、あるところまでがんばりすぎて、休息期間にはいった。
突然のことだった。時間が完全に止まりかけた。
子どもは苦しめられてもたぶん生きてはいけたんだと思います。
私・・・
今、生きてるだけでまるもうけ、みたいな経験だったのかな・・・
もうあれから5年近くたつんです。
そこから、ここまで変わってきた。
人間、苦しいことに追われて時間がかかることもありますけど、
変われるものですね。
乗り越えるっていうのかな。
時間が解決する部分も大きいです。
記憶のあいまいさがいいこともある!
全部を覚えていたら、パンクする!
まっ、いいかっ!なんとかなる!! で生きていく。


農薬も、添加物も、化学繊維も、薬も、原発も
私の中では同ランク
苦しい経験の中に登場するものたち以外のなにものでもない。

昭和時代に作り出して乱用してきたものの
後始末をしなければならないのが、平成なのかな?
なんて思うのです。
子どもたちの時代
そんな負の遺産の中で、幸せを感じて人生を送るために
自分がするべきことは何か、何ができるのかな

今日、昭和の日に考えていました。

娘は大好きなおばあちゃんのところに久々、お泊まりに行きました。
小さな日常に大きな幸せを、より感じるようになってます。

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posted by U-sap at 23:59| つぶやき的、私日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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